百戦百勝 武田二十四将・山県昌景 油断大敵 - やる気倶楽部の活動日誌

やる気倶楽部の活動日誌 ホーム » スポンサー広告 » コラム » 百戦百勝 武田二十四将・山県昌景 油断大敵

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

百戦百勝 武田二十四将・山県昌景 油断大敵

武田信玄の家臣団は強力であった。武田二十四と呼ばれる。
武田二十四将②

その中でも特に武田四天王(武田四名臣)と呼ばれ

信玄・勝頼父子を支えた馬場信春内藤昌豊・山県昌景・高坂昌信(春日虎綱)の4人が有名である。

今回はその中でも勇猛果敢で恐れられた山県三郎兵衛尉昌景を紹介する。
山県昌景
初め飯富源四郎といい飯富虎昌の弟。

兄虎昌は武田義信の守り役という立場から謀反に加担せざるを得なくなった。

謀反を昌景にわざと聞こえるように画策しクーデターは未然に発覚。

兄虎昌は誅殺されてしまった。

その後信玄から由緒ある山県家の名跡を継ぐよう命ぜられた。



武田家の支柱であった板垣信方甘利虎泰の両雄亡き後

昌景は信玄より武田の最高職である「職」に任じられ

戦陣でも信玄を補佐し全幅の信頼を得続ける。



昌景の部隊は全員赤色の具足をつけ疾風のごとく敵陣を陥れることで恐れられ

武田の赤備え」として常に信玄の本陣にあった。
山県昌景赤備え

武田氏が滅んだあとも徳川家家康の家臣・井伊家に引継がれ

「井伊の赤備え」として受け継がれ武勇の象徴となるほどであった。




ある人物が昌景に「なぜ貴殿の軍は何度戦っても一度も後れを取ることがないのか。

なにかコツでもあるのか?」ときいたところ

「二度三度と功名を立てたものは必ず自慢の心が出るもの。

工夫などを思い巡らすことが無くなり過ちを起こしやすくなる。

私は常に初陣を思って戦うようにしている。

故に一度も後れることがなかった。

何事も油断すると錆が付いてしまうものであり

寝ても覚めても油断しないことが肝要である。」 (名将言行録)と戦の心得を述べている。



この考えは武士の戦における心得だけでなく

現代社会においても通用する考え方だ。

右肩上がりを続ける企業の多くが

常に工夫を重ね油断の無い企業経営を実践している。

戦国の世でも現代でも共感を呼ぶ考え方と言えよう。

(担当:熊五郎)

コメント
非公開コメント

トラックバック

http://yarukiclub.blog130.fc2.com/tb.php/146-768104c0

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。