優秀な2代目 律儀な将軍 徳川秀忠 - やる気倶楽部の活動日誌

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優秀な2代目 律儀な将軍 徳川秀忠

江戸幕府2代将軍・徳川秀忠.
徳川秀忠

初代家康3代家光の間に隠れてなんとなく陰が薄く評価が低いのイメージがある。

それは戦で失態をおかしていることが大きく影響している。

関ヶ原の戦いへの遅参がクローズアップされているためか?

彼は恐妻家でも有名である。




今年のNHK大河ドラマの主人公がその妻だ。

織田信長の姪の小督(お江与:崇源院)に頭が上がらなかったのは有名な話だ。

側室を持たず生涯一度だけなぜか女性に手をつけた。

のちの保科正之が生まれたが会うこともせずに保科家に養子に出した。

当時は現代と違い側室を持つことは当たり前の時代。

にもかかわらず側室をもたなかった。

愛妻家であったこともあるだろうが律儀さが表れている。

彼は戦では目だった活躍をしていなかったが将軍に選ばれている。





家康の息子は剛毅な性格が多い中、地味・温厚で父に忠実な律儀な性格。

それが2代目という重要なポストに最適だったのだろう。

後継者を決める重臣会議(大久保忠隣本多正信井伊直政平岩親吉榊原康政)における

大久保忠隣の「乱世は武勇が主であるが、天下を治めるには文徳・智謀が必要である」

という意見が認められた。

彼は政治に関しては抜きん出た能力を持ち

家康の路線を忠実に受け継ぎ発展させている。

家康存命中は地味だったが、創業より守成が難しいとされる

二代目のミッションを見事に成し遂げたところは優秀な政治家であった。

幕藩体制を揺るぎないものにし、

江戸幕府長期政権を作りあげる基礎を確立したのはまさしく秀忠であった。





酒井忠世土井利勝安藤重信といった重臣に支えられ、

自分に従わない弟の松平忠輝、譜代で家康子飼いの本多正純を改易している。

また外様有力大名の福島正則(広島50万石)、田中忠政(筑後柳川32万石)、

最上義俊(山形57万石)、蒲生忠郷(会津若松60万石)などを改易。

彼の時代外様23家、親藩・譜代16家も改易している。

その他転封も数多く行い有力大名の力を削いでいる。

改易も転封も秀忠の時がピークである。

親藩・譜代・外様に関係なく大名統制を行い

幕府に刃向かいそうな芽はことごとく潰している。





とにかく律儀すぎる人物だったが

江戸時代300年の平和の基礎作りをしっかり行なった2代目としては

鎌倉幕府や室町幕府の2代目と比較しても雲泥の差があったと言えるだろう。

もっと評価を上げたい一人である。
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