諸葛孔明の再来、江戸城築城で有名な太田道灌 - やる気倶楽部の活動日誌

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諸葛孔明の再来、江戸城築城で有名な太田道灌

太田道灌(どうかん)は15世紀中ごろの関東の武将で

江戸城を築いたことで有名である。
太田道灌

彼は扇谷上杉家の家宰(家老)の家柄である。

鎌倉五山で学んだ俊英であるが、

諸葛孔明の再来と言われるほどの戦上手であったことは余り知られていない。



25歳のころ江戸城を築くが、その築城法は室町中期では類を見ない堅城であった。

子城・中城・外城を備え「道灌かがり」とよばれる仕掛けなど

後の城郭のもつ要素を完備するものであった。

道灌は江戸城のほか河越城(川越)・岩付城(岩槻)を築いて

関東全体を押さえることを視野に入れた戦略的な築城を行なった。




当時、関東は下総古河の古河公方足利成氏

鎌倉の関東管領・上杉氏が対立し、

上杉氏も山内上杉氏扇谷上杉氏に別れて複雑な対立構図にあった。

道灌は扇谷上杉定正を支え混乱する関東平定の為戦い続けた。

当時、まだまだ個人戦の時代であったが、

道灌の戦法は合図ひとつで集団を動かす組織戦を用い

反旗を翻す豪族たちを平定していった。

時代に先駆けた築城技術、いち早く個人戦法を集団戦法で撃破してゆく道灌

それゆえ諸葛孔明の再来と言われた。




しかし部下の活躍を妬む上杉定正によって暗殺されてしまう。

結局、有能な家宰を失った上杉氏は関東を狙う北条早雲によって滅ぼされてしまう。

現代の組織の中にも部下の活躍を妬む上司がときどき見受けられるが、

上杉定正と同じ道を歩むことになるだろう。

(担当:熊五郎)
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