重大な転機に間違った選択をしない器量・細川忠興 - やる気倶楽部の活動日誌

やる気倶楽部の活動日誌 ホーム » スポンサー広告 » コラム » 重大な転機に間違った選択をしない器量・細川忠興

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

重大な転機に間違った選択をしない器量・細川忠興

肥後熊本藩54万石の礎を築いた細川忠興
細川忠興

戦国時代きっての文化人大名・細川幽斎の長子である。

天下取りの主役である織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人に仕えた。




細川氏は足利将軍家の支流で畿内・四国を中心に一門で

8か国の守護職を占める有力守護大名となった。

鎌倉時代から室町・江戸時代、明治以降も名門として続いている稀有の一族である。

足利義満を補佐した管領細川頼之の流れが室町幕府で力をもった嫡流である。

幽斎・忠興は、代々和泉守護(和泉上守護家)を務めた頼之の弟・頼有の子孫の流れである。

細川家は応仁の乱やそれ以降の戦国の渦のなかで盛衰し

嫡流家や多くの傍流が衰えていった。



しかし名門細川の命脈を保ち乱世を生き抜き、

江戸時代を大名として明治時代を伯爵家として、

そして昭和以降も名家として残っている。



第79代総理大臣・細川護煕氏は忠興の子孫である。
細川護熙

細川忠興が名門細川氏の多くの支流のなかで生き残ってこれたのは、

信長から秀吉、秀吉から家康へ権力が移っていく過渡期において、

多くの選択肢のなかから何一つ間違った選択をしなかったこと

と言えるのではないだろうか。




忠興には、信長・秀吉・家康のような天下人の器量は無かったが、

重大な転機に誤ることなく進退することができる器量があったと言えよう。

転機に誤った選択をしないことほど難しいことはない。

(担当:熊五郎)
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://yarukiclub.blog130.fc2.com/tb.php/205-0ed78607

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。