東北太平洋沖地震 被災者から直接聞いた話(その1) - やる気倶楽部の活動日誌

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東北太平洋沖地震 被災者から直接聞いた話(その1)

2011年3月11日金曜日午後2時46分、

宮城県沖でマグニチュード9.0の大地震が起こった。

世界で4番目に大きな地震である。

一夜明けた土曜日から日曜日、月曜日になった今もテレビの報道は地震情報ばかりである。

多くの大切な人命が失われ、まだ行方不明のひとたちも大勢いる。

お見舞い申し上げると言っても空しく、悲しくなるばかりである。



東北大学に通う従兄弟の息子が関西の実家に戻る途中私のところへ立ち寄った。

バイクで日本海側に出てようやく私のところまでたどり着いた。

意外と元気で安心した。



彼は地震発生のとき、

自宅マンションのエレベータから降りて玄関を出て

バイクにのる所だったそうだ。

急にグラグラと揺れはじめ、

バイクが転倒しその横でうずくまったそうだ。

何が何やらわからないうちに揺れがおさまり、

自室に戻ろうとしたらエレベータが止まっており

中に何人か閉じ込められた様子だったそうだ。


ほんの1分くらい出かけるタイミングがずれていたら、

まずエレベータに閉じ込められ、

不安な狭い空間で余震に怯えなければならなかった。

とりあえずエレベータを管理する警備会社へ、

エレベータの横にある警報で知らせようとしたら、

エレベータが勝手に動いて1Fで止まった。



ドアがあき、中から3人のおばさんが出てきたそうだ。

恐怖で顔が引きつり、エレベータの床が水浸しだったそうだ。

3人のうちの誰かが失禁したらしい。

それほどの恐怖だったとのこと。




非常階段を駆け上がって自室に戻り

貴重品や簡単な食料・水、着替えを詰込んで

いつでもバイクで逃げられる体制をとったそうだ。

このとき携帯も繋がりにくくなっていて、

友人とも連絡がつきにくくなっていたそうだ。

震度7の激震がどんなものか、聞いてみたが、よく覚えていないとのこと。

地面の下からの異様な音が耳に残っているとのこと。


彼の住んでいた場所は、比較的、鉄筋コンクリートの

新しいマンションが多い所なので

倒壊した家は殆ど見なかったという。(続く)

【担当:熊五郎】
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