東北太平洋沖地震 被災者から直接聞いた話 その2 - やる気倶楽部の活動日誌

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東北太平洋沖地震 被災者から直接聞いた話 その2

従兄弟の息子が、東北太平洋沖地震を仙台市内で被災し

バイクで実家に戻るまでの間に体験したことを聞いて書いてみることにした。

揺れがおさまってから、バイクでいつでも逃げられる体制をとって自室にもどり、

友人に連絡したが、殆ど通じなかったらしい。

当初、携帯の電池が残っていたので、ワンセグでテレビも見ることができたらしいが、

余震が度々起こり、ガス、水道は早々に止まってしまい、

ライフラインが断たれてしまったとのこと。

だんだん日も暮れはじめ、

3月とはいえまだまだ冷え込む東北・仙台の夜を越す自信がなく

即生活に困ると感じ実家に戻る決断をしたとのこと。



とにかく情報がなく携帯のワンセグも見えなくなったとのこと。

こういうときに最も役に立ったのが、電池式のラジオだったという。

最近の家庭に電池式のラジオはだんだん消えていっているようだ。

夜になってバイクで関西に戻ろうとしていたとき、

友人の一人が訪ねてきた。

仙台出身で仙台市内でも海沿いの町、

若林区の荒浜地区に自宅があり、

13:00ころ原付で市内に買い物に出かけその後地震が起ったという。

戻ってみると水浸しで何もなくなっており、

仕事に出ていた父親とも連絡がとれず、

家にいた母親と祖母は行方不明とのこと。

茫然自失で人が変ったようだったらしい。

彼は原付でこれから福島県郡山の親戚のところに身を寄せるという。

家族がバラバラになり連絡がつかなくなったとき身を寄せる場所があるだけましと感じたと言う。



荒浜地区では今、200~300人の遺体が打ち上げられているとのこと。

ご冥福を祈るとともに、その友人の母と祖母がその中におらず、

どこかで無事救出されることを祈るばかりである。

友人が親戚を訪ねて出て行くとほぼ同時に、

日本海側へ向けてとにかく関西へ向かったという。

3月11日(金)の夜のことだった。(続く)

(担当:熊五郎)
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