東北太平洋沖地震 被災者から直接聞いた話その3 - やる気倶楽部の活動日誌

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東北太平洋沖地震 被災者から直接聞いた話その3

従兄弟の息子が仙台であった地震のあと、

日本海へ向けてひたすらバイクを走らせたそうだ。

日本海側への峠を越えるまで、

殆どの地域で電灯が灯っておらず真っ暗だったという。

本人は地震のせいで、電気が通じていないと思い込んでいるようだったが、

街灯もない山の中の県道以下のレベルの道路を深夜2時ころに走ったのだから、

本当に停電していたのか疑問である。



峠を越えて新潟県の側に出て休憩していると、

大きな余震があり深夜の暗闇で地面が揺れたときの恐怖は相当なものだったらしい。

被災地で大きな余震が頻発する地域の避難場所で、

被災者の方たちが不安な夜をすごしたと推測すると気の毒でならない。



彼は、仙台の地元民ではないので、

土地に未練なくすべてを放置して実家へ向かうことができたが、

先祖伝来の土地や建物を失った方々が、

簡単に離れられるのだろうか?


大阪の橋本知事をはじめ関西など被災していない自治体が公営住宅を用意し、

バスなどをチャーターして迎えるというすばらしいアイデアや

府立高校を被災者に開放するというアイデアも、

被災地の方々の本音はどうなのだろう?



郡山に避難した彼の友人と連絡がとれたとき、

こちらへ来ないかと勧めたらしい。

しかし親族に行方不明者があるのに、

とりあえずとはいえ郡山に逃げたことを後悔していると言ったそうだ。

故里が酷い状態になってはいるが、

先祖伝来の地を離れたくないと言っていたそうだ。



若い大学生でさえそんな気持ちを持っているなら、

年配の方たちはなおさらかもしれない。

しかし、故里を捨て去るわけでなく、体制を建て直すまでの間でも、

遠く見知らぬ地ではあるが安心して生活してもらいたいと思うのは、

被災していない者の勝手な思いなのだろうか?

(担当:熊五郎)
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