部下が上司を選ぶ 戦国末期 藤堂高虎 - やる気倶楽部の活動日誌

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部下が上司を選ぶ 戦国末期 藤堂高虎

戦国時代、近江国甲良郡の一豪族に生れた藤堂高虎
藤堂高虎

「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という発言で有名である。

彼は、当初、浅井長政に仕えていた。
長政&秀長
※浅井長政&豊臣秀長

姉川の合戦では武功をあげ長政に褒められている。

しかし長政が織田信長に敗れたあと、

浅井氏の旧臣だった阿閉貞征、浅井氏旧臣の磯野員昌の家臣など

近江国の国人領主を渡り歩いたが

どの主君も生涯を通して仕える器の主君ではなかったという。



仕えるに足る主君を捜して放浪しているときの逸話がある。

高虎のちょっと変った旗指物、白餅が三つの「三つ餅」の由来に関する逸話である。
藤堂家旗指物

阿閉氏の元を出奔し浪人生活を送っていた若き日の高虎が

三河吉田宿(現・豊橋市)の吉田屋という餅屋で三河餅を無銭飲食した。

主の吉田屋彦兵衛に故郷に帰って親孝行するようにと諭され

路銀まで与えられたと伝えられている。

この事を忘れまいとして自らの旗指物に白餅を用いたという。

後日、大名に出世した高虎が参勤交代の折に立ち寄り餅代を返すという人情話だ。




その後、豊臣秀吉の弟・羽柴秀長に仕えるようになり頭角をあらわし、

秀長の死後は、その養子・秀保に仕えた。

秀保が若くして亡くなると豊臣秀吉に仕えるが、

朝鮮出兵など無謀な行為に嫌気が差し、

秀吉が亡くなると、徳川家康に急接近する。
秀吉&家康



家康を生涯の主君として、関ヶ原・大阪の陣と家康に加担し、

外様大名でありながら譜代大名なみの信頼を得るようになる。

最終的には2代将軍・秀忠、3代将軍・家光に仕えた。



彼は秀長と家康に心酔したが、それは彼らが生涯通して仕える器の人物と見たからであり、

自らを託すことのできる上司を選ぶことが400年前の戦国時代でも現代でも重要なことと言えよう。

ちなみに藤堂家は家康の信頼を得た結果、幕末まで存続し続けることができた。

※藤堂高虎を題材にした小説は結構多い。
藤堂高虎 秀吉と家康が惚れ込んだ男 (PHP文庫)藤堂高虎 秀吉と家康が惚れ込んだ男 (PHP文庫)
(2005/05/03)
羽生 道英

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(担当:熊五郎)

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