織田信長を天下布武へと導いた陰のナンバー2 沢彦(たくげん) - やる気倶楽部の活動日誌

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織田信長を天下布武へと導いた陰のナンバー2 沢彦(たくげん)

織田信長、幼名を吉法師(きっぽうし)と言った。
織田信長&織田信秀
※織田信長・信秀 父子

父・織田信秀の時代、家臣の平手政秀に命じて吉法師の教育係りを捜したところ

臨済宗妙心寺派の僧:沢彦宗恩(たくげん そうおん)に白羽の矢がたった。

沢彦宗恩①
※沢彦の肖像画が無いので、ゲーム「戦国大戦」のデータを掲載


沢彦宗恩は、信長がただの“うつけ”ではないことをいち早く見抜き

武将としてのさまざまな智恵を授けてゆく。

信長も「師僧」と慕って信頼を寄せていた。



当時、元服に際して実名をつけるのが通例で、

沢彦宗恩が「信長」という名を選んだと言われている。

信長が尾張を統一し桶狭間で今川義元を撃退した作戦にも一役買ったといわれている。

美濃を制覇した信長に稲葉山城下の「井ノ口」について改名を進言したと言われている。

800年続いた中国の「」の国の王が「岐山」という山で挙兵したことと、

曲阜」 という場所で 孔子 が生まれたことから「岐阜」を選んだという。

また信長の政策である天下布武も沢彦の進言によるとも言われ、
天下布武
信長の印文「天下布武」の四字を授けたといわれ、

天正」という年号も沢彦の考案と言われている。

このように信長に大きな影響を与えているが殆どその姿を表に現していない。

そもそも沢彦は史料に残されていることは殆ど無く、

愛知県図書館所蔵「政秀寺古記」がほとんど唯一の資料といえる。

全く陰の参謀、陰のナンバー2と言えるだろう。



同じ僧籍にあって今川義元の名参謀:太原崇孚雪斎とは歴史への露出に大きな差異がある。
今川義元&太原崇孚雪斎
※今川義元&太原崇孚雪斎

しかしあの世で沢彦宗恩は「ナンバー2とはこうあるべき!」と

ほくそえんでいるように思えてならない。

【参考】沢彦を主人公とした小説があるので紹介しておく
沢彦(たくげん)沢彦(たくげん)
(2006/07)
火坂 雅志

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(担当:熊五郎)
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