悪役イメージの魏:曹操の配下で善玉イメージの猛将:張遼 - やる気倶楽部の活動日誌

やる気倶楽部の活動日誌 ホーム » スポンサー広告 » コラム » 悪役イメージの魏:曹操の配下で善玉イメージの猛将:張遼

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悪役イメージの魏:曹操の配下で善玉イメージの猛将:張遼

張遼、中国後漢末期、三国時代の武将。字は文遠(ぶんえん)という。

張 遼

後漢末の動乱期に丁原何進董卓呂布に武人として仕えた後、

曹操の配下となり魏の成立に尽力した。



丁原に武勇を買われて従事に取り立てられ洛陽に上り、

大将軍:何進の命で河北に赴き転戦。都に帰還した時に何進は暗殺されていた。

その後丁原を排除して実権を掌握した董卓の配下となり、

董卓が王允と呂布に暗殺されると呂布の配下となる。

呂布が曹操に敗れて処刑されると、

麾下の将兵と共に曹操に降伏し中郎将・関内侯となった。



袁紹と曹操が決戦した官渡の戦では

官渡の戦い(記念碑)
※官渡の戦い(記念碑)

その前哨戦である白馬の戦いにおいて、

劉備の降将である関羽と共に先鋒を務め、

袁紹方の猛将:顔良の軍を破った。

関羽が劉備の元へ帰るため出奔するときに

関羽を見送りに行くなど関羽とは敵ながらも親交があった。




張遼は、魏の名将であり極めて人気が高い武将の一人である。

孫権との戦いでは大活躍をし、猛将:太史慈を討ち取る(合肥の戦い)など武勇は一番と言われた。

蒙求』には「張遼止啼」という標題があり、

張遼の武勇は江東にも広く轟いたので、江東の子供が泣き止まない時も

「遼来遼来(張遼が来るぞ)」と言えば必ず泣き止んだ、

という逸話が紹介されているほどだ。



魏の曹操の家臣は何か、曹操の悪役イメージが付き纏うが、

魏将の中では珍しく善玉イメージで、名将であり

人格者というイメージが定着している不思議な将軍である。

張遼の活躍を表した小説があるので紹介しておく。

張遼 (PHP文庫)張遼 (PHP文庫)
(2008/10/01)
桐谷 正

商品詳細を見る


(担当:熊五郎)

コメント
非公開コメント

トラックバック

http://yarukiclub.blog130.fc2.com/tb.php/328-7774479c

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。