乱世を諦めず流浪の身から大名になった尼子氏旧臣:亀井茲矩 - やる気倶楽部の活動日誌

やる気倶楽部の活動日誌 ホーム » スポンサー広告 » コラム » 乱世を諦めず流浪の身から大名になった尼子氏旧臣:亀井茲矩

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

乱世を諦めず流浪の身から大名になった尼子氏旧臣:亀井茲矩

亀井新十郎茲矩は、中国地方の戦国大名:尼子氏の家臣:湯永綱の長男として生れた。

亀井茲矩2

従って旧姓は湯(ゆの)氏である。

槍術の達人であり「槍の新十郎」の異名を持つ。

初め湯国綱と名乗っていたが、

山中幸盛(鹿介:通称「山中鹿之助」)の妻の妹・時子(亀井秀綱の二女)を娶ったため、

山中鹿之助3

亀井氏の名跡を継いだ。




主君の尼子氏が毛利元就によって滅ぼされると、流浪の身となった。

山中鹿之助ら尼子残党が尼子勝久を担いで織田信長に味方し

尼子氏再興を図ったが失敗し勝久は自刃。

鹿之助も捕らわれた挙句処刑されてしまう。

亀井茲矩は羽柴秀吉の軍と同行していた為、難を逃れた。

尼子再興はならなかったが亀井茲矩は諦めることなく

中国攻略を進める羽柴秀吉の軍に属し

吉川経家が守る鳥取城攻略で戦功を挙げ因幡国1万3500石:鹿野城主となる。



織田信長が本能寺の変で討たれたあとの秀吉・中国大返しの際には

後詰めとして鹿野城に残り毛利氏への牽制・監視役を果している。

豊臣政権下では因幡の生野銀山の経営など行政面で手腕を発揮する一方、

朝鮮の役では水軍を率いて活躍している。

秀吉亡き後は徳川家康に接近し関が原の戦いではきっちり東軍についている。



流浪の身から一代で因幡国鹿野において加増を加えて4万石の大名にまで出世した亀井茲矩。

生き延びることが最大の勝利だった戦国の世を考えると大いなる成功者と言えるだろう。

諦めることなく、時代の流れを見極め、山中鹿之助亡き後旧尼子家臣団と亀井家を支えた

一代の英傑の割には余り名前が知られていないのは残念である。



逸話としては、秀吉が毛利を平らげたとき出雲を与えると約束していた。

本能寺の変でその約束が叶えられず

代わりに恩賞となる別国の希望を聞いたところ

茲矩は「琉球国を賜りたい」と答えたため

秀吉は「亀井琉球守殿」と書いた扇を茲矩に授けたという。

この琉球を所望する逸話は

1993年(平成5年)のNHK大河ドラマ琉球の風』の第1話冒頭でも描かれている。

琉球の風(一)怒濤の巻 (講談社文庫)琉球の風(一)怒濤の巻 (講談社文庫)
(1995/09/06)
陳 舜臣

商品詳細を見る


戦国乱世に夢を追い続けた英傑の子孫は、

その嫡男:亀井政矩の代に石見国津和野藩4万3,000石に加増転封され、

明治維新まで続いている。

流浪の身から諦めずに乱世を頑張りぬいた甲斐があったというものだろう。

※参考までに、亀井茲矩を主人公とした小説(岩井三四二:著)があるので紹介しておく。
亀井琉球守 (角川文庫)亀井琉球守 (角川文庫)
(2010/12/25)
岩井 三四二

商品詳細を見る


(担当:熊五郎)
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://yarukiclub.blog130.fc2.com/tb.php/330-d634a94e

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。