不当に低い評価?田沼意次の改革 松平定信の寛政の改革よりは? - やる気倶楽部の活動日誌

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不当に低い評価?田沼意次の改革 松平定信の寛政の改革よりは?

田沼意次
※田沼意次の肖像

側用人から老中となった田沼意次(おきつぐ)は、

賄賂政治が横行するようになった張本人として

松平定信をはじめとする伝統的重農主義者によって批判されている。

松平定信
※松平定信の肖像

田沼意次はそれまでの農業依存の幕府経済を改め、

重商主義的な改革を行うことによって財政の立て直しを図った。

株仲間の奨励策による運上金冥加金の徴収、

町人資本による印旛沼手賀沼の干拓事業を行い、

長崎貿易の推奨(特に輸出商品の増産)など、

積極的に改革を進め、幕府財政を立て直すことに成功している。

また、蘭学の奨励、工藤平助らの提案による蝦夷地調査、

アイヌを通じた対ロシア交易の模索など海外政策の改革も

時代を先取りした政策と言えよう。



しかし重商主義から来る金銭崇拝的な傾向が、

賄賂政治と決め付けられることになったのだろうか?

賄賂は別に田沼の時代だけではなくどんな時代にも横行している。

幕府財政を立て直したという意味では、

8代将軍吉宗享保の改革や後の寛政の改革などよりも余程効果をあげている。



子息の田沼意知暗殺や印旛沼干拓事業の失敗、

浅間山の噴火・天明の大飢饉発生、

そして後ろ盾であった10代将軍家治の死など

不運が重なり田沼は失脚、田沼政治は終焉を迎える。



その後松平定信が断行した寛政の改革における倹約や厳しさへの不満が

市井にあったことは庶民の川柳戯れ歌からも読み取れる。

「元の田沼の濁り恋しき」なる戯言が流布したことがその象徴だろう。

江戸時代を通じて享保の改革、寛政の改革、天保の改革など

幕府財政の建て直しのための改革が為されたが、

田沼時代の改革ほど効果があった改革は他に無いと思われる。

しかしながら田沼意次の不当に低い評価はいかがなものか

「水清くして魚棲まず」とはこのことであり、

現代においても一定言えることかも知れない。

田沼意次と松平定信田沼意次と松平定信
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※お互いにライバルであり、両極端に位置付けられる松平定信と田沼意次。
両者の政治家としての資質や手腕、政策、リーダーシップのあり方などを比較している。

(担当:熊五郎)
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