忠臣蔵、浅野内匠頭と吉良上野介の人物評 - やる気倶楽部の活動日誌

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忠臣蔵、浅野内匠頭と吉良上野介の人物評

忠臣蔵で有名な浅野内匠頭(たくみのかみ)と吉良上野介(こうづけのすけ)。

浅野内匠頭は播州赤穂藩3代当主で、浅野長矩(あさの ながのり)という。

浅野内匠頭

浅野氏は関白豊臣秀吉の正室・北政所の実家で、

宗家:浅野長政の三男:浅野長重の家系が分家の赤穂藩となった。




一方の吉良上野介は吉良義央(きら よしひさorよしなか)といい、

吉良上野介

源氏の名門:吉良氏、そして高家肝煎という、

江戸幕府における儀式や典礼を司る役職についていた。

吉良氏は足利将軍家の縁者で、上野介は今川氏真の玄孫にあたる超名門である。




この二人は江戸城松の廊下での刃傷事件:元禄赤穂事件で有名であり

刃傷松の廊下


仮名手本忠臣蔵として歌舞伎や人形浄瑠璃の演目になっている。

吉良上野介は大石内蔵助(良雄)堀部武庸(ほりべ たけつね通称:堀部安兵衛)

赤穂浪士(四十七士)の敵役として意地の悪い大名としてイメージがついている。

しかし領国の三河国幡豆郡では、黄金堤による治水事業や富好新田をはじめとする新田開拓や

人柄から名君とされ地元では未だに慕われている。

愛知県吉良町には赤馬という郷土玩具があるが、

これは上野介が赤馬に乗って領内を視察したのを機に作られた玩具と言われている。

赤馬




一方の浅野内匠頭は悲劇のヒーローのような扱いであるが、

その人物評価は上野介と対照的である。

浅野内匠頭は生来短気で癇癪持であったようで、

しかも感情が激した時に胸が苦しくなる

「痞(つかえ)」という精神病を持っていたという逸話もあるが真相は不明である。

室鳩巣は著作『赤穂義人録』の中で

「長矩は人と為り強硬(「武骨者」という傍注あり)屈下せず」と記載し

頭を下げることを好まない性格であったと記述している。

また幕府隠密が全国の大名の素行を取り調べた『土芥寇讎記』では、

“長矩は女好きであり、いい女を献上する家臣だけを出世させる。

政治は子供の頃から家老に任せている”という記載があるように

あまりいい君主とは言えないようであった。



これらから推測すると、刃傷松の廊下の事件の裁きは公平であったような気もする。

そうなると大石内蔵助や堀部安兵衛ら赤穂四十七士の討ち入りは
大石良雄&堀部安兵衛

逆恨みだったと言えるのかも知れない。(真実は不明である・・・)

(担当:熊五郎)
コメント
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吉良上野介は、今でも地元では名君ですね。ある作家が、吉良町でタクシーに乗り、仲間と会話中「吉良が…」と言ったところ、タクシーの運転手に「呼び捨てにするな。吉良様と言え!」と、すごい剣幕で怒鳴られた…と書いてました。
ちなみに赤穂では…浅野内匠守切腹を聞いた町民は、喜びのあまり一晩中踊ったと言う話がある位、嫌われていたようです。
まぁ、新田を開発したと言うお祖父さんとお父さんのお陰で、ついでに木像など祀ってあるお寺も残っていますが。

2014-10-11 16:27 │ from 名無しさんURL

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