小田原北条氏を救った武将:北条氏規 - やる気倶楽部の活動日誌

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小田原北条氏を救った武将:北条氏規

北条氏康の五男で氏政氏照氏邦の同母弟:北条氏規

北条氏を後世まで伝える重要な役割を果たした。

兄の氏照や氏邦と比べて外交面において秀でた活動が伺える。

越後上杉謙信や甲斐の武田勝頼、織田信長没後の徳川家康、

奥羽の伊達氏や関東の蘆名氏との外交・同盟において取次を務めており、

徳川家康から氏規宛の書状などが多数残されている。

豊臣秀吉が北条氏に上洛を求めた際、家康は氏規に働きかけている。



外交面だけではなく、武将としても、兄たちより優れていたようだ。

永禄12年(1569年)の武田信玄の伊豆侵攻の際、

韮山城を守備し武田軍を撃退するなどの活躍が目立つ。

韮山城


北条一族のなかで唯一、豊臣の勢い、世の中の大局を読むことができた氏規は、

秀吉への臣従を主張した。

北条家の当主:氏直に代わって上洛して秀吉と数度の交渉にも当たっている。

北条氏直
※北条氏 五代目当主 北条氏直

しかし、氏政や兄:氏照や氏邦に押し切られ、小田原征伐の渦中に巻き込まれていく。

韮山城へ籠もり、40,000を超すの豊臣勢を相手に

300余の寡兵で4ヶ月以上抗戦する善戦であったが、

家康の説得を受けて開城

後に北条氏政・氏直親子に降伏を勧める役割を果たした。



小田原征伐後、許された氏直とともに高野山へ流されるが

後に許されて河内国丹南郡2,000石、河内郡6,980石を領有し狭山城主として生き続けた。

氏規の後継として後を継いだ北条氏盛は1万1,000石の大名として狭山藩の初代藩主となり、

小田原北条氏は、明治維新までこの地で生き続けた。

氏規の意見を取り入れていれば、

北条氏はもっと大きな領地を安堵され繁栄したかも知れない。

大局を見ることのできる人は、往々にして組織から疎んじられるのかもしれない。

※参考まで
 北条氏規を題材にした小説
 
 
虚けの舞―織田信雄と北条氏規虚けの舞―織田信雄と北条氏規
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(担当:熊五郎)
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