上杉鷹山、見習ってほしいギリシャの財政再建 - やる気倶楽部の活動日誌

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上杉鷹山、見習ってほしいギリシャの財政再建

上杉家足利幕府では関東管領職を任ぜられるなど、

名門中の名門の守護大名で、戦国時代。上杉謙信が当時、

最も強い武将と言われ、「軍神」と恐れられた。

越後
※越後60万石 謙信時代

あとを継いだ上杉景勝は後継者争いを勝ち抜き、

豊臣政権において五大老の一人として活躍した。

会津120万石
※豊臣政権下 会津120万石 五大老時代



越後から会津に移って120万石の大大名であったが、

関が原の戦いで破れ、米沢へ転封となった。

その際、120万石から30万石に減封となったにもかかわらず、

米沢初代藩主である上杉景勝の意向から、

会津120万石時代の家臣団6,000人を召し放つことを殆どせず、

家臣も上杉家へ仕えることを誇りとして離れなかった。

米沢上杉墓所
※米沢30万石時代 江戸時代を通じて

そのため他の藩とは比較にならないほど人口に占める家臣の割合が高かった。

直江兼続らの努力もあって、実石高は30万石以上と言われるようになったが、

人件費だけでも藩財政に深刻な負担を与えていた。



18世紀中ごろ、1750年前後には借財が20万両(現代の通貨換算で約150~200億円)に

累積していたと言われる。

藩としてはすでに破産状態で、今話題のギリシャ財政危機のような借金大国であった。

新藩主に就任した上杉治憲(鷹山)は、民政家で産業に明るい竹俣当綱

上杉鷹山
※上杉治憲(鷹山)

財政に明るい莅戸善政を重用し、藩財政の改革に乗り出した。

竹俣当綱莅戸善政
※竹俣当綱&莅戸善政

それまで藩主の江戸での生活費(江戸仕切料)が

1500両だったのを209両に減額し、

奥女中も50人から9人に減らすなどの倹約政策を実施した。

その他、非常食の普及や藩士・農民へ倹約勤労を奨励するなど

再建の対策に努め、自らも粥を食して倹約し、

当時、天明の大飢饉の渦中にあったがなんとか乗り切ることができた。



鷹山は養子の上杉治広に家督を譲り隠居したあとも亡くなるまで後継藩主を後見し、

藩政を実質指導し、上杉治広の後継者:上杉斉定の時代には累積借債を完済したという。

指導者たるもの、建て直しの際には、家臣や人民に適切な指導をするとともに、

自らも粥を食うという痛みを味わわねば再建は難しいといえよう。

ギリシャの国民だけではなく日本も同じと言えよう。



鷹山が次期藩主:治広に家督を譲る際に申し渡した、

3ヶ条からなる藩主としての心得に伝国の辞(でんこくのじ)というものがある。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
(国家は先祖から子孫に伝えるところの国家であって、自分で身勝手にしてはならないものです。)
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
(人民は国家に属している人民であって、自分で勝手にしてはならないものです。)
一、国家人民のために立たる君にし君のために立たる国家人民にはこれなく候
(国家と人民のために立てられている君主であって、君主のために立てられている国家や人民ではありません。)

また、上杉鷹山の名言として、

「なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」と言うものがある。

その意味は、人が何かを為し遂げようという意思を持って行動すれば、

何事も達成に向かうのである。ただ待っていて、

何も行動を起こさなければ良い結果には結びつかない。

結果が得られないのは、人が為し遂げる意思を持って行動しないからだ。

(担当:熊五郎)
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