北条政子と日野冨子 日本三大悪女のうちの二人 - やる気倶楽部の活動日誌

やる気倶楽部の活動日誌 ホーム » スポンサー広告 » コラム » 北条政子と日野冨子 日本三大悪女のうちの二人

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

北条政子と日野冨子 日本三大悪女のうちの二人

日本三大悪女に挙げられるなかで、北条政子日野冨子は必ず挙がってくる。
北条政子&日野冨子
※左が北条政子、右が日野富子 なんとなく顔まで似ている

しかしもう一人というと、淀殿春日の局(お福)などが挙げられるが、

どうもはっきりと決まっている訳ではなさそうである。

間違いなく悪女といわれている北条政子と日野冨子は本当に悪女だったのだろうか?



政子と冨子を調べていると、その経歴などよく似通ったところがある。

政子は平氏の名門:北条氏の惣領:北条時政の娘として生まれた。

一方の日野冨子は、公家の名門:藤原氏の流れを汲む名家の出である。

政子の夫:源頼朝の父、義朝は、保元の乱で殺されている。


冨子の夫:足利義政の父、6代将軍義教嘉吉の乱赤松満祐に暗殺されている。

源頼朝&足利義政
※政子の夫:源頼朝、右は富子の夫足利義政


政子の子供、頼家実朝は暗殺され自分より先に亡くなっているし、

冨子の子供、9代将軍足利義尚も25歳の若さで亡くなっている。

その他、政子は夫:頼朝の死後、承久の乱が起こると

鎌倉の御家人を率いて政治に大きなかかわりを持ったし、

冨子も夫:義政の隠居後から息子の義尚の後見をし、

その死後は自ら政治にかかわった。

生まれてからの境遇も非常によく似ている。


なぜ、悪女の代表として伝えられているのだろうか?

政子は尼将軍として頼朝なきあと実権を握り、

父:時政まで追放してしまうほどであったからだろう。



富子は応仁の乱のきっかけを作ったからという理由が大きい。

応仁の乱は、日本史上最悪の夫婦ゲンカといえよう。

男子の無かった義政・富子夫妻は、後継者問題でもめていた。

実弟で仏門に入っていた義尋を還俗させ、

名を足利義視と改めさせ細川勝元を後見に将軍後継者とさせようと思う義政に対して、

やっと生まれた義尚を将軍にしたい富子が有力守護の山名宗全を頼り

争いとなって京の都から全国に広がる大乱となったものである。



乱の終息後後、都の復旧のために関所を設け

通行料をとり復興費用としようとしたが、

その殆どを懐に入れるなど、金儲けに精を出していたという。

古来、男社会で活躍する女性は、往々にして悪女扱いされることが多い。

実際は、政治手腕に優れた、一人の政治家だったかもしれない。

歴史は曲げられることが多いものだ。

※北条政子と日野富子を題材にした書籍があるので紹介しておく。
北条政子 (文春文庫)北条政子 (文春文庫)
(1990/03)
永井 路子

商品詳細を見る

足利義政と日野富子―夫婦で担った室町将軍家 (日本史リブレット人)足利義政と日野富子―夫婦で担った室町将軍家 (日本史リブレット人)
(2011/07)
田端 泰子

商品詳細を見る


(担当:熊五郎)
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://yarukiclub.blog130.fc2.com/tb.php/367-c045f7f7

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。