室町時代後半、日の当たらない足利将軍たち - やる気倶楽部の活動日誌

やる気倶楽部の活動日誌 ホーム » スポンサー広告 » コラム » 室町時代後半、日の当たらない足利将軍たち

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

室町時代後半、日の当たらない足利将軍たち

歴史にはエアポケットともいうべき時代がある。

時代は、時系列にずっと流れているが、

歴史的なエピソードや有力な人物が出ていないか、

ややこしい人間関係や社会情勢のために歴史的記述が埋もれてしまった時代

といえるのではないだろうか。



室町時代というのは、前半が3代将軍足利義満の絶頂期、

後半が応仁の乱以降といわれる戦国時代に

はっきりと分かれて記憶されているのではないだろうか。

応仁の乱


応仁の乱は、8代将軍足利義政の後継争いから

管領四職を歴任する有力守護の跡目争いを巻き込み、

有力者である山名宗全細川勝元を東西の大将にして

1467年から1477年の10年間も争い京の都は焼け野原になってしまった。

山名宗全&細川勝元
※左が山名宗全、右が細川勝元


しかし応仁の乱のあと、いきなり群雄群雄の戦国時代に突入したわけではない。

応仁の乱のあとは、足利将軍家の混乱、管領・細川氏と畠山氏、斯波氏などの権力闘争に

守護代やその被官の争いが京の都周辺の機内を中心に活発化するが.

そのなかで有力守護である細川勝元の嫡男・細川政元が権力を掌握した。

しかし細川政元が家臣に暗殺されてから、細川管領家の争いが拡大し

戦国時代に突入していったとみて良いのではないだろうか。



室町時代後半の戦国時代における足利将軍といえば、

松永弾正に暗殺された13代剣豪将軍足利義輝

織田信長に担がれた15代足利義昭くらいで、

9代から12代までの将軍など知ってる人も少ないというありさまである。

8~11代
※左から、8代義政、9代義尚、10代義材(義稙)、11代義澄

9代足利義尚(義煕)10代足利義材(義尹・義稙)11代足利義澄(義遐、義高)12代足利義晴と続く。

12~15代
※左から、12代義晴、13代義輝、14代義栄、15代義昭

剣豪将軍として知られる足利義輝は、松永弾正によって暗殺されたことで有名で、

間に足利義栄という殆ど無名の14代将軍がいるが、

最後の15代将軍足利義昭が、権謀術数のあげく織田信長に追放されて

室町幕府が滅んだことは教科書にも詳しく載っている。



室町時代後半の足利将軍をよく知らない人が多いのは、

殆ど権力をもたない飾り物のような将軍が多く、

また改名して誰が誰だか分からなくなっている将軍が多かったからかもしれない。




足利将軍家の継承の流れを簡単に説明すると、

8代足利義政の怠惰と優柔不断、気まぐれな風流人気質、隠居願望から

実弟の足利義尋(のち義視)に何度も将軍職を譲ろうとしたが固辞され、

最後はあきらめた義視が継承を承諾した(1464年)。

しかしその後、義政と日野富子の間に実施、足利義尚が生まれた(1465年)。

結果、義視の後見人である細川勝元と

日野富子・義尚を推す山名宗全が対立し、

その他畠山や斯波などの守護も巻き込んで応仁の乱となった。

約10年にわたる大乱も1473年3月に宗全が、そして5月に勝元が死去するにおよび、

12月には8代義政が将軍職を義尚に譲り、

日野富子の勢力が拡大し、次第に乱は沈静化していく。




その後、将軍となった足利義尚は、幕府の力を復興させようと

六角氏の征伐に向かったが若くして陣没してしまう。

その後、一度は将軍後継の意思を固めていた義政の弟、義視の子である足利義材が10代将軍になる。(明応の政変

しかし幕府内の最有力者、細川政元によって将軍職を負われることになる。

細川政元

※細川政元

政元によって擁立されたのが、11代足利義澄である。

彼は、日野富子や細川政元に実権を握られ続けるが、

富子が死に、政元が暗殺されて細川氏の家督相続争いの中で、

前将軍、足利義材改め足利義尹を擁立した周防の守護・大内義興

上洛するという情報を得て近江に遁走し、

その後、将軍職を廃されてしまう。



前将軍、足利義尹が将軍に復帰するが、12代将軍とは言わず、

4代将軍足利義持が、5代将軍足利義量早世後に復帰したが6代にはならなかったことと同様である。

足利義尹は、将軍復帰後、足利義稙と改名し大内義興や管領・細川高国に支えられる。

細川高国

※細川高国

しかし細川氏の傍系である阿波の細川澄元と細川高国との争いのなか

高国との対立が深まり、争いに敗れ義稙は阿波を頼るようになる。

義稙は、再起を目指していたが、阿波で死去してしまう。

そこで細川高国は朝廷に働きかけ、11代義澄の長男を擁立し12代将軍とした。

12代足利義晴の誕生である。



細川氏は、高国が家臣を暗殺するなど内紛が起こると、

高国と対立していた本家(京兆家)の細川晴元が、

阿波の細川庶流の家臣であった三好元長とともに高国を破り入京する。

敗れた高国は、将軍とともに近江へ逃れるが1531年戦に敗れて自害する。

そうするうちに、細川晴元と三好元長も対立し、元長は晴元との争いの中、敗死する。

近江に残った将軍足利義晴は、六角氏(六角定頼六角義賢)の調停により細川晴元と和睦するが、

細川晴元排斥に走り、細川氏綱遊佐長教らの助けを借りて晴元に対して優位に立つ。



しかし晴元の重臣、三好長慶やその弟たち(三好義賢安宅冬康)がかけつけると

形勢は一気に不利になりまたもや近江に落ち延びる。

義晴は、ここに至り、嫡男の足利義輝(義藤)に将軍職を譲るのである。

このような状況下、13代足利義輝は近江に残っているなかで、京を中心とする畿内では

晴元の家臣であった三好長慶と細川晴元の争いが続く。

そして三好長慶がその軍事力の優位によって晴元を追い詰め機内を席巻し実権を握っていく。

13代義輝は、このような三好長慶とその家臣である松永弾正が京を牛耳っている時代の将軍として在位した。

その義輝も松永弾正に襲われ暗殺され、阿波に逼塞していた足利義栄

三好・松永に担がれて14代将軍となる。

ここから先は、弟の覚慶こと足利義昭が織田信長の力を借りて、

機内から三好・松永勢力を駆逐して15代将軍となるのである。



長々と足利将軍の推移を記述したが、

ややこしい時代背景もあり、将軍が脇役にまわっていたため、

流れがわかりにくいので簡単にまとめてみた。

面白い時代なのだが、このあたりを題材にした小説なども少なく

日があたっていないのは残念である。



細川政元を主人公にした小説と13代将軍義輝を題材とした小説があるので紹介しておく。


天魔ゆく空天魔ゆく空
(2011/04/15)
真保 裕一

商品詳細を見る



剣豪将軍義輝 上 鳳雛ノ太刀<新装版> (徳間文庫)剣豪将軍義輝 上 鳳雛ノ太刀<新装版> (徳間文庫)
(2011/11/02)
宮本昌孝

商品詳細を見る


(担当:熊五郎)
コメント
非公開コメント

トラックバック

http://yarukiclub.blog130.fc2.com/tb.php/421-a70c8137

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。