今川氏真,暗愚といわれ続けた名門の御曹司 - やる気倶楽部の活動日誌

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今川氏真,暗愚といわれ続けた名門の御曹司

今川氏は、清和源氏の名門である。

足利将軍家とは非常に近い家柄で、吉良氏と並ぶ名家と言われている。

足利将軍家になにかあれば、将軍職を継ぐ家柄である。

駿河国を所領とする。



今川貞世(了俊)が、九州を平定し、

その後、今川氏親の時代に飛躍し、

今川義元が戦国期、京に上って政権をようとした。

絶頂期といえよう。



その今川義元の嫡男が、今川氏真である。

今川氏真


公家の血を引く為か、和歌(集外三十六歌仙のひとり)や蹴鞠に通じ、

蹴鞠


風雅を愛する御曹司として育ったようだ。

しかし塚原卜伝に剣術を習うなど個人の資質としては、結構高かったと言う評価もある。




今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に敗れ命を落とすと、

あとを継いで、駿河遠江三河太守となる。

しかし、元来戦を好まない風雅の武将だったらしく、

父、義元の仇を討つことなく、内政を重視した政治を行なった。

富士宮の六斎市などは、楽市として、織田信長よりも遥かに早い時期に実施するなど、

戦以外の部分では、比較的よい政治を行なっていたといえよう。



しかし、趨勢は下降線をたどり、重臣や味方に裏切られ、

武田信玄や徳川家康に領土を侵食され、

ついに駿府を焼かれ家臣の朝比奈泰朝掛川城に落ちのび、抵抗をした。

しかし、武田や徳川の勢いはいかんともしがたく、ついに家臣の助命を条件に開城した。

このとき太守としての名家・今川氏は滅んだといえる。



その後、妻の実家である北条氏を頼るが、

武田と北条の同盟が復活するに至り、徳川家康の庇護下にはいる。

氏真は、織田政権、豊臣政権の中を、徳川の下で泳ぎきり、

江戸時代には、高家旗本として幕臣となる。

幕末から明治にかけての当主、今川範叙が明治中期に死去して、

鎌倉以来の名家、今川氏も男子直系が途絶えることになる。




今川氏は、暗愚といわれた氏真で完全に滅亡したように思われることも多いようだが、

明治まで脈々と続いていた。

本当かどうかわからないが、氏真が家康のもとで京の公家との間に入るなど、

外交に手腕を発揮したと言う評価もある。

『天下を汝に』という小説があるが、

今川氏真が天下を家康に取らせるという話で、なかなか面白い。

暗愚のイメージの氏真を少し見直すことになるかも知れない。


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(担当:熊五郎)
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