部下を信用できない「秀吉タイプ」の末路 - やる気倶楽部の活動日誌

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部下を信用できない「秀吉タイプ」の末路

豊臣秀吉

やる気のある戦国武将をイメージしたとき、もっとも「やる気」を感じるのが豊臣秀吉というのは、私だけだろうか?


戦国武将というと、一般的には、守護から戦国大名になった武田氏、今川氏などを思い浮かべ、その部下の守護代、地頭、地方豪族や、将軍家の直臣など、そして彼らの配下が下克上によって大きくなり、ついには一国を支配する戦国大名に成長する。
このようなパターンが一般的であった。

そんな中で尾張中村の農民の子が、わずか40年弱で天下への階段を一気に駆け上がる、その「やる気」たるや想像に絶する。
「出世欲=やる気」が秀吉のやる気の構造だったのだろう。
一般的な戦国大名、戦国武将のやる気の源泉の主な部分が、「土地」つまり領土拡大であったが、それに対して「出世欲」というものが、これほどまでに大きな力を発揮するものかと驚く。


当初、秀吉は信長に褒められ、新しい役職を拝領し、上を見ながら突っ走ったのだろう。
しかし、本能寺で信長が討たれ、褒められたり褒美をくれる存在が無くなったとき、彼の「やる気」の源泉がどう変化したのかを想像すると、いかにも面白い。


本当の気持ちは確認できないが推して知るべしである。
「誰にも褒めてもらわなくてもいい!こうなったら目指すは頂上のみ!」
誰かにほめてもらうために発揮する「やる気」と、自らが定めた目標に向けて一直線に走るときの「やる気」では、その重さが何十倍も違うはずだ。


秀吉のその後の言動・行動を見ていると、それまでのような「信長の目」を気にしたパフォーマンスではなく、「本気のやる気」に基づいているように思う。

「鳴かぬなら鳴かしてみしょうホトトギス」
は秀吉の言葉ではないが、秀吉の言動から彼の生き方を象徴する言葉として伝えられている。



そのような秀吉も、年齢を重ねるにつれて、長年サポートしてくれたスタッフ達に対する疑心暗鬼の念が大きくなり「嫌な老人」に変貌していく。
人間、人を信用できなくなることほど不幸はない。
またサポートしようと思って頑張ってきた人たちも、信用されないことほど「やる気」を失うことはないのではないだろうか?

豊臣政権が長続きしなかったのは、もちろん世継ぎの決定が遅かったことや、引継ぎがうまく為されなかったこと、保身しか考えないような官僚の横行、恩顧の家臣と石田三成たちとの対立などがあったかもしれないが、生前「嫌な老人」が垣間見えるようなことがあったのではないだろうか?

賢い猿
若い頃の秀吉がこういうイメージなら…

老猿
晩年の秀吉のイメージはこうかも…
(ちなみに秀吉は「猿」「猿面冠者」と呼ばれていた……)


人望を集め、成功した企業のトップも、このような「嫌な老人」にならないよう気をつけてほしいものだ。嫌な老人は、まわりのやる気を奪っていることに気付かないことが多い。
(担当:熊五郎)
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