知られざる優秀な2代目社長 織田信忠『創業は易く守成は難し』 - やる気倶楽部の活動日誌

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知られざる優秀な2代目社長 織田信忠『創業は易く守成は難し』

織田信忠は、言わずと知れた織田信長の嫡男である。
産まれたときから帝王学を教え込まれ、偉大な父親の陰に隠れながら、大過なく成長した2代目である。

織田信忠
※織田信長の有名な肖像画となんとなく似ている

文献によるとその性格は温厚で、公明正大、曲がったことが嫌い、部下に対して気をつかう、などなど、父親とは性格において違った武将のように見られる。

彼は、偉大な父親に隠れるということで、あまり後世にエピソードを残していない。
しかし、実績としては、甲斐、武田勝頼討伐の総大将を大過なくこなすなど、武将としても一流であり、実質家督を譲られていた。
信長期待の後継者であることは間違いない。
弟の信雄や信孝とは一線以上を画した存在であった。

しかし、その人となりなど、後世の我々は殆ど知らないのが現実だろう。
彼の生きた時代、実績や人望がないと部下から評価されず、力により排除されるか、最悪、命にかかわることも通常であった。

その中で彼は、目立たず、しかも父の期待にも応えると言う器用な人生を歩んでいる。
父、信長に褒められたというような目立った活躍の記述もない。

ただ、信長の部下達とはよくコミュニケーションをとっていたようだ。
信長の叱責をかった武将をうまく取り成したり、政治的な配慮、周辺への気配り。
どうも、信長亡き後の政治に目をむけていたのではないかというような行動が目立つ。

目だった言動もなく、名言も残していないが、長い目で状況を見る才があったのだろう、平和への移行を着々と目指していたのではないだろうか?
あまり文献がないので、真実はわからないが、信忠の「やる気」の源泉は、2代目の役割としての「守成」ではなかっただろうか。

初代が強引に作り上げる、草創の時期よりも、安定を確保し初代の意思を長きにわたり継承するための基礎をつくることが如何に難しいかを知っていたはずだ。

信忠の言葉ではないが、「創業は易く守成は難し」(出典:貞観政要は、信忠の人生観を表しているように思える。

信長と同じ日、明智光秀に討たれた。
文献では、この時、信忠は逃げる時間があったにも関わらず二条城に篭城し、ともにいた親王らを内裏へ逃がし、光秀の軍に少人数でかなりの抵抗をしたとのこと。
武将としての資質も高かったのだろう。
逃げて雑兵の手負いとなり、泥まみれになるよりも、潔い討ち死にを選んでしまった。
実に惜しい。
これが泥まみれで創業を果たした初代とは異なる、2代目の美学なのかもしれない。


※「創業は易く守成は難し」という故事成語について
元々の出典は、『唐 書』
唐の太宗の、「創業と守成とどちらが難しいか」という問いに対し、臣下の魏徴が答えた言葉
貞觀十年、太宗謂侍臣曰、帝王之業、草創與守成孰難
「新しく事業を始めることよりも、その事業を受け継ぎ衰えないように維持していくほうが難しいということ」

最後に織田信忠を主人公にした小説を紹介しておく

織田信忠 「本能寺の変」に散った信長の嫡男 (PHP文庫)織田信忠 「本能寺の変」に散った信長の嫡男 (PHP文庫)
(2004/02/03)
近衛 龍春

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織田信忠―父は信長 (人物文庫)織田信忠―父は信長 (人物文庫)
(2010/03)
新井 政美

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(担当:熊五郎)
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