「恥は一時、志は一生」 韓信の股くぐり - やる気倶楽部の活動日誌

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「恥は一時、志は一生」 韓信の股くぐり

9月からの熊五郎企画は、(日本の)戦国武将の名言や言動を紹介するものであるが、ちょっと隣の中国に目を向けてみた。
韓 信

韓信(かんしん)は中国秦末から前漢初期にかけての武将で、漢帝国の初代皇帝、劉邦(りゅうほう)の下で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた将軍である。

主に政治の面で支えた張良(ちょうりょう)蕭何(しょうか)共に劉邦配下の三傑の一人と言われる。

世界軍事史上の名将としても位置づけられている。
韓信は、もともと劉邦のライバル、楚の項羽(こうう)の下にいて度々色々な進言をしたが、用いられることは無く、漢の劉邦のもとへ移った。

※項羽:姓は項、名は籍、字が羽




はじめは低い役職に甘んじていたが、重臣に面白い奴と認められ、前述蕭何の推薦で、いきなり大将軍に任ぜられた。

何の実績もない韓信を、重臣蕭何を信じた劉邦も大人物であったが、それを見通した蕭何の人を見る目も素晴らしかった。

蕭何の、

「韓信は国士無双であり、他の雑多な将軍とは違う。(劉邦が)この漢中にずっと留まるつもりならば韓信は必要ないが、漢中を出て天下を争おうと考えるのなら韓信は不可欠である」

という推薦のことばが韓信のやる気を高めその後の大きな活躍に繋がったのだろう。



韓信は全軍を率いる大将軍となり、山西省北部を占領し、趙(河北省南部)へと進軍し北方方面を平定していった。

趙との戦の際、韓信が河を背にした布陣を敷き20万ともいわれた趙軍を、狭隘な地形と兵たちの死力を利用して防衛し、その隙をついて別働隊が城砦を占拠・落城させ、落城の動揺を突いて、本隊による挟撃で勝利した。

これが有名な「背水の陣」であり、兵法では不利とされ、自ら進んで行うものではない戦法であったが、兵士の恐怖感を煽ることで戦闘意欲(やる気)をアップさせ、必死の活躍を引き出したものであった。

背水の陣―悲将韓信の生涯背水の陣―悲将韓信の生涯
(1995/05)
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韓信は、若いころから冷静無比であった。

若い頃のエピソードに、有名な「韓信の股くぐり」というものがある。

あるとき乱暴者に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。
そのとき韓信は黙ってその乱暴者の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑った。


皆から笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生」、ここでこのような町の乱暴者と争って切り殺して勝ったとしても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうと、志・目標に支障があると冷静に考えたのだろう。

韓信 股くぐり



「恥は一時、志は一生」


一時の状況で右往左往したり感情的になったりするのは最も愚かなことで、物事は長い目で見、考えるべきである。
(担当:熊五郎)
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